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今、かんがえていること。

あたらしいフォーマットを考える人は本当にすごいと思うし、
その時代で、唯一なものを作っている人は、尊敬に値する。

なにがすごくて、何が尊敬できるのかと言えば、
フォーマットである意味と、唯一である意味があるということで
さらにはその意味をもって、
きちんと現代と格闘しているからなんだけど

じゃあ僕は一体何をもって、現代と格闘するのか。
ということをきちんと考えたいなと思う。


格闘できるのは、「個人の、感情」だと思っていた。
ずっと。
日常を暮らす観客の感情を激しく揺さぶるために、
俳優が舞台の上で激しく感情を動かし共鳴させることで、

観客が、日常生活においてあたらしい発見をしたり、
あるいは、気持ちを動かすことに敏感になってもらいたいと思っていた。


で、僕はずっと、
演出として、とにかく俳優の感情が本物であることにこだわっていた。
俳優は演技をしていない状況であるべきだと思っていたし、
その俳優の体に、外的な要因をひたすらにくわえ続けることで、
感情が動く物だと信じてやまなかった。

そして、立ち位置、距離感、関係性。から沸き立つ感情を、
如何にして音と光、その他のギミックで見せてあげるかを、考えていた。



俳優から、「え、私の演技、これでいいんですか?」と聞かれることがよくあったけれど、
僕はそう見えていたのだから、まったく問題はなかった。

けれど。

演技、これでいいんですか? って質問されていた時点で、もう、僕のやろうとしていたことは全て伝わっていなかったのだなと思うし、さらには、あまりに特殊な設定における感情を見せたいと思っていたので、なかなか観客にその人の感情を見たいと思わせることができていなかったのだなと気づく。

どれだけ感情以外のものを記号化して、
わかりやすく、感情を、見せてあげなくてはいけなかった。

そして、その感情で、
何かしら、観客と対話をして、日常に持ち帰ってもらう努力をしなくてはならなかった。


そしてさらに、
本当に、「個人の、感情」でいいのだろうか?
という疑問にぶちあたる。


というのは、
ここ数年で、あまりにも、「個人的な感情」「ミニマムな感情」が商品になっている気がする、
というのと、

情報過多で、迷子になってしまっているひとに対して、
死に向かっていくしかない生き物としてのきまりごとを生きる人間として、

ほんとうにこのまますすんでいっていいのかなぁ? という
現代的かつ根源的な不安に対して、

もちろん。
そのまますすもうよ。

ぜんっぜんだめでもいいから、
すすもうよ。

だめでもやりなおせるから、
すすもうよ。

どこかでだれかとくそみそにぶつかり合うけど、
すすもうよ。

きっとわたくしたちのことなど誰からも忘れられてしまうけれど、
すべては風化していくのだけれど、
すすもうよ。

という、
完全肯定のメッセージを僕は伝えたがっているんじゃないかと思っているからだ。


絶望すれすれの、完全肯定。
そういうことがきちんと伝わるように、今、僕は演劇をつくりたい。


よし。エスカルゴまであと12日だ。
ぐんぐん、すすむぞ。

成島秀和 | - | 07:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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